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町長室へようこそ No.120

素戦没者追悼式に慰霊祭歌を歌う

7月15日、忠魂碑前で遺族会主催の戦没者追悼式が行われました。昭和14年(1939年)に現在の役場の地にあった忠魂碑を神社境内に移設してから80回目の追悼式になります。平成14年(2002年)まで自衛隊音楽隊が慰霊祭歌を演奏・唱和していただいていました。私の記憶では独唱した自衛隊員が途中、声を詰まらせた場面があったのを覚えています。慰霊祭歌の歌詞は遺族の方だけではなく、私たちの心にもしみる鎮魂歌だからです。この歌を作詞した小野重吉は、元滝上町役場職員で40年ほど前に退職された滝本由雄さんのペンネームです。滝上町文化協会長も務めており昭和33年(1958年)の開基50年記念として「滝上讃歌」を作詞しています。
一方作曲は、さくら貝の唄、あざみの歌、山の煙、毬藻の歌などを作曲した八洲秀章(やしまひであき)です。真狩村生まれで歌手の細川たかしと同郷です。慰霊祭歌がどういう経緯で八洲秀章の作曲に至ったのか調べていくと、かつて町内で滝上新聞を発行していた田尾馨社長の故郷が八洲と同郷の真狩村で、交流が深かったことがわかりました。

いつ作られたのかといいますと、昭和38年(1963年)5月31日の滝上新聞に慰霊祭実行委員会と本社協賛で奉納する慰霊祭歌を作る。歌詞はできているので、ビクターレコードの八洲秀章に作曲を依頼中とあります。翌39年(1964年)7月の慰霊祭に滝上高校2・3年生が歌を奉納したと書かれています。実際に全日制1期生が追悼式で歌った記憶があると言っていますので間違いありません。
余談ですが、八洲秀章は昭和43年(1968年)5月の開基60年記念の歌謡ショーに専属の歌手他10数名を連れて来町しています。この時同行した松竹少女歌劇団のメンバーだった方から聞いた話では、公園の上方に白い芝ざくらで「たきのうえ」の文字があったといっています。慰霊祭歌の他にも歌詞を全国公募した滝上小唄に八洲が曲をつけて、島純子(後の藤圭子)が歌ったり、特に滝上讃歌は八洲が即興で作曲したとされており、滝上と縁の深い方であります。

ところで、慰霊祭歌の譜面が町に残っていなかったため、平成15年(2003年)に音大卒の滝上高校大村校長先生に自衛隊演奏のテープから採譜してもらい、追悼式でも歌っていただきました。追悼式で慰霊祭歌を歌う滝上町長の画像声楽科ですから朗々とした歌声の素晴らしかったことを覚えています。その後平成21年(2009年)から各小中学校の校長先生に歌っていただきましたが、遺族会主催になってから途絶えていました。慰霊祭歌の奉納はあった方がいいと思いたち、今回、私が慰霊祭歌を歌いました。
歌詞が進むにつれ熱いものがこみ上げてきましたが、何とか最後まで歌い切ることができました。毎年7月15日、今日、享受している平和と繁栄は、戦火の中で尊い命を捧げられた戦没者の方々の犠牲の上に築きあげられたことを心静かに思い、忠魂碑に込められた平和と英霊の安らかなることを念ずる一日として続けていかなければならないと思うところです。

滝上町長 長屋 栄一

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